Sunday, May 12, 2013
第4回勉強会:日出処から アメリカから見たペリー来航~大東亜戦争 The fourth study group, From Perry to War, an American viewpoint
Last Thursday, May 9th, I held my fourth Study group. The title was "Japanese American relations from the Arrival of Commodore Perry until the beginning of the Pacific war."
先週木曜日、5月9日、第4回目の勉強会を行ないました。内容は、”アメリカから見たペリー来航~大東亜戦争”でした。
I thank everyone who came, every chair in the room was filled. With one more person, there would have been standing people.
参加して下さった皆様、有り難うございました。もう一人来たら、立ち見でした。
In this lecture, I showed the process how Japan and America drifted into war. Basically, Americans were very aggressive about dominating Japan and China. However, they did not understand either country.
この講演で、日本とアメリカが戦争の道に入った行為を説明しました。基本的に、アメリカ人は日本と中国を支配する事に、とても挑戦的でした。しかし、どちらの国でも理解しませんでした。
They did not understand Japan's true affection for America. They did not understand that at the time, Japan was by far a greater business partner than China.
日本人のアメリカに対しての興味と愛情を理解しませんでした。当時、日本は中国より深いビジネスパートナーの真実を分かりませんでした。
And America also had an Empire in Asia, the Philippines, which they felt they had to protect from Japan.
それと、アメリカはフリピンで自分達のアジア帝国も有り、日本から守る必要の気持ちが有りました。
I demonstrated how a few American leaders, Secretary of War Henry L. Stimson, President Roosevelt, And Secretary of State Cordell Hull provoked Japan into war.
数人のアメリカのリーダー、戦争長官ヘンリー·L·スティムソン、ルーズベルト大統領、国務長官コーデル・ハルが日本を戦争開始に誘発する事を行なった真実を説明しました。
All for a very unrealistic dream that America could dominate China and Christianize it, America punished Japan, and provoked Japan into war.
何故か、アメリカが中国をキリスト教に改宗して、支配が出来る非現実的な夢の為に、アメリカが日本を戦争開始に仕掛けました。
I am seeing the same dangerous trend in Japanese American relations today. Americans do not understand WWII. They do not understand Japan. There are foreign forces in America who are trying to use WWII issues to punish Japan, such as the "Comfort Women Issue".
現在の日米関係で同じような危険な傾向が見えます。アメリカ人は大東亜戦争を理解していません。日本も理解していません。アメリカ国内で、色々な外国団体が、大東亜戦争問題、例えば、”慰安婦”問題を利用して、日本を罰する試みをしています。
Present Prime Minister Abe is being called a dangerous rightist in the American press.
現在の安倍総理大臣は、アメリカのマスコミで、危険な右翼と呼ばれています。
However, the facts are, concerning what happened in the war, he is basically correct.
しかし、大東亜戦争について、彼の話はほとんど正しいです。
http://news.infoseek.co.jp/article/11fujizak20130511009
When I first came to Japan in 1974, I very quickly understood this lack of knowledge about WWII on the part of Americans. At that time, Japanese kept quiet about the issue.
私が1974年に日本へ初めて来た時に、この大東亜戦争についてアメリカ人が知識不足と言う問題をすぐ分かりました。同時に、日本人はその問題について黙っていました。
But I knew that it would some day become a great problem in Japanese American relations. That time is now.
しかし、その昔に、このアメリカ人の戦争について無知な事は、いつか日米関係で大問題に成る事を分かりました。その大問題に成る時は、今です。
Well, Americans don't understand their own history. If you asked an American about the part that the French Army and French fleet played in the American revolutionary war, they would answer very little, or nothing.
まあ、アメリカ人は自分達の歴史を分かりません。アメリカ人に、”アメリカの革命戦争で、フランス軍隊、海軍はどう言う役が有りましたか?”と言う質問をしたら、”何でもない、ほとんどない。”と、アメリカ人が返事します。
The facts are, without the French Army and French Navy, America would have never become independent. At the decisive battle of Yorktown, the French Army was the major cause of the British defeat.
真実は、フランス陸軍と海軍がいなかったら、アメリカが独立に成る事が不可能でした。ヨークタウンの決戦で、フランス軍が英国軍の敗北の一番の原因でした。
http://www.cracked.com/article_20306_5-myths-about-revolutionary-war-everyone-believes.html
Half the troops on the Allied side were French.
連合側の軍の半分は、フランス軍でした。
America had no Navy, all ships were French that forced the English to surrender.
アメリカは軍艦がなく、英国軍を降伏させた艦隊は、すべてフランス海軍でした。
A map of the battle of Yorktown.
ヨークタウン戦いの地図です。
Yet today, Americans are quick to forget the great debt they owe France. When France refused to participate in the 2003 American invasion of Iraq, patriotic Americans poured French wine into the street in protest. What a waste.
しかし、現在、アメリカ人はすぐフランスに恩が有ると言う事を忘れます。アメリカの2003年イラク侵略に、フランスが参加拒否した時に、愛国主義アメリカ人は抗議の為に道路にフランスワインを流しました。もったいない!
http://www.freerepublic.com/focus/f-news/856771/posts
Of course, now we know that the invasion of Iraq was a disaster, and a major defeat for America. I knew it then.
勿論、現在、アメリカのイラク侵略は災害でしたし、アメリカの大敗北です。私は当時に分かりました。
With American aggressiveness about TPP, and failure to even consider Climate Change, we are having a very difficult time dealing with America.
アメリカは、現在、TPP問題について日本に挑戦的に成っていて、温暖化を考える事でも拒否していて、アメリカと交流する事が難しいです。
I can only hope the future will be better.
将来、もっと良く成ると望むしか出来ません。
But I doubt it. Americans are only interested in their own myths, not truth.
しかし、私はそう思いません。アメリカ人は真実ではなく、自分達の神話にしか興味有りません。
For my part, I shall tell the truth as best I can.
私は出来るだけ、真実を書く事を努力します。
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Below, is my script for the Study group. I am very sorry, it is in only Japanese.
下記は、私の勉強会の台本です。
ペリー提督は、最初の試みは、日本開国では有りませんでした。しかし、全部の試みは暴力的で、強制的でした。開国以前、難破したアメリカの船乗組員は数多くいました。
アメリカ人は1871年に岩倉使節団の洗練されていることに驚きました。そして数多くのアメリカ人は日本政府で働きました。日中戦争では、アメリカは日本向きでした。その大きな理由は、キリスト教宣教師は中国で成功出来ないということでした。
その時に、アメリカ人の気持ちの中には、中国をキリスト教に改宗する為に、日本はアメリカを手伝うはずだと思いました。
しかし、1897年にハワイの併合でセオドア・ルーズベルト海軍次官は日本と戦争をしたいと考え、この時からアメリカ海軍が日本を敵国と考えるようになりました。それと同時に、アメリカ西海岸に住んでいる人達も、日本の侵略があるのではという恐れを抱くようになりました。
当時、ハワイで、アメリカ人は2,000人が住んでいて、日本人は20,000人でした。アメリカの宣教師とビジネスマンの恐れたことは、アメリカが急いでハワイを併合しないと、日本が併合するだろうということでした。
アメリカのフィリピン併合も、同じ問題が原因でした。アメリカ人はマニフェスト・デスティニー(自明の運命)を信じて、自分達の国民の使命は中国を強制的にキリスト教国に改宗させる事であると思っていました。
この時からアメリカ海軍は軍艦の数を増やしました。
しかし、全体的にセオドア・ルーズベルトは、アジアで他のヨーロッパの国々が植民地を持っている事にたいして、日本がそれらの国々との同盟国と考えました。
しかし、アメリカ西海岸では日本人移民が多数入り、白人が日本人移民に対して怒りを覚えました。
1906年にサンフランシスコの市政府が、中国人、日本人の子供は東洋人の学校へ入らなければならないと言う差別命令を出しました。この頃から特に日本とアメリカの関係が悪くなりました。
1907年グレート・ホワイト・フリートは日本へ訪問しました。日本ではこの艦隊は人気でした。
1909年グレート・ホワイト・フリートはアメリカへ戻りました。アメリカ西海岸の白人は、日本への恐れから、西海岸の海軍基地にアメリカ海軍戦艦の配属を要求しました。この時から西海岸で日本が敵国であるというプロパガンダ:宣伝攻勢が始まりました。
出っ歯のハシムラ東郷さんという小説が世に出ました。
ハースト新聞は時に反日の空気を作りました。勿論、嘘の話ばかりでした。例えば、メキシコの西海岸で日本人が魚港を持っているのは、実は、日本帝国海軍の基地です、というデマ。
この時に、アメリカ鉄道王、E. H. ハリマンは満州の鉄道を買う試みをして、両国の緊張感が高まりました。
1913年カリフォルニア州では、日本人は不快な民族であるから土地を買うことは出来ないという法律を作りましたが、本当の理由は、日本人の農民は一緒懸命働き過ぎるので、自分達より良い農場を持ってしますという恐れでした。
日本政府がこの差別的な法律を抗議した時に、アメリカ連邦政府が軍艦を西海岸へ回しました。
第一次世界大戦で日本とアメリカは同盟国でしたが、アメリカは100%日本を信用しませんでした。中国で宣教師活動が増えても、日本では、宣教師が成功を出来ないということで。
アメリカ人は当時の中国を退廃したと思っていたので、1911年の革命はとても喜びました。ウィルソン大統領はキリスト教の考えの元で意見を作りました。
1913年で不安定な中国政府が、世界のキリスト教教会に中国政府の成功の祈りをお願いしたことで、アメリカ人はとても喜び、中国政府に対する印象はとても良いものになりました。
アメリカのウィルソン大統領は中国には優しかったけれど日本に厳しかったです。
1913年アメリカには、中国向きの宣教師団が26あり、アメリカ国民への影響力がありました。日本協会(Japan Societies)はアメリカ国民に日本の良いイメージを作る試みをしたけれど、中国との競争に敗れました。
第一次世界大戦では、日本は中国と中央太平洋の元ドイツ領土を貰いましたが、アメリカ海軍はこれで太平洋に対して不安になったのです。
1915年で日本が対華二十一ヵ条を要求したことに対して、アメリカのウィルソン大統領の反動は厳しかった。
ハースト新聞は、日本が中国で領土を奪うことに、アメリカ人の恐れと、アメリカ西海岸の日本人移民とを結びつけ、このことからメキシコの、秘密日本帝国海軍基地の噂がさらに増えました。
第一次世界大戦が終わって、ハワイのアメリカ海軍基地の開発が増えました。また、日本も軍艦の数を増やしました。
戦後のパリ平和条約会議で、ウィルソン大統領は中国を日本から守る責任が有ると感じ、日本の方は中国で貰った領土を守ることを考えました。日本のもう一つの目的は、西洋人のアジア人に対する差別、人種差別を止めさせるつもりでしたが、国際連盟で日本の人種平等条件の提案を、アメリカのウィルソン大統領がこれをつぶしました。
日本の南洋庁設置で、アメリカ海軍は日本に対しフィリピンの連絡線を警戒するようになりました。また、日本の中国における強い立場に、アメリカ宣教師がとても不満を抱いていました。
1918年で、アメリカがシベリアへ陸軍を派遣しました。この使命は、アメリカの国益を守る事と日本軍にシベリアを併合させない事でした。
ウィルソン大統領の理想的な宣言とアメリカが実際に行なった活動は、全然合致しませんでした。これで、日本はアメリカ政府の宣言が、アメリカの将来的なエゴの活動を隠す為に発せられていると仮定するようになります。
1920年には、日米両国の様々なコメンテーターの意見として、戦争が必ず起きると考えました。
しかし、1928年までに、アメリカ人はヨーロッパの国々の争い、疲弊を見るにつけ落胆し、アメリカが豊かな社会に成ったことで、戦争をしたいという考えが徐々に無くなりました。そして中国は軍閥時代に入り、強盗組、アメリカ人を殺したり、アメリカ人の物を盗んだり、ということが繰り返され、中国に対しても落胆しました。
アメリカ人の考えでは、日本の軍隊が弱くなり、怖くありませんでした。ハディング大統領の時代で、アメリカのアジアにおける活動は理想的な事では無く、単に商売の為の活動でした。
しかし、アメリカ陸/海軍は軍備縮小に反対でした。1925年に海軍がプロパガンダのプロを雇用して、日本が危ない国であるという宣伝攻勢を行わせました。
アメリカの造船会社も、1922年5−5−3条約に反対でした。この条約の1936年からの延長はアメリカから止められました。理由は日本の満州での活動でした。
1924年排日移民法制定で、これに対し日本がとても怒りました。アメリカ軍で戦った日本人でも、アメリカの市民権を拒否されることとなりました。
日本は中国で他国より友好的な政策を試みましたが、だんだん不可能となってきました。
軍閥時代の中国
中国で大東亜戦争前の外国ゾーンです。
1929年の世界大恐慌で、日本での絹輸出は半分になりました。この経済危機で愛国主義のリーダー達の力が強くなりました。
1931年で日本が満州で軍事的な活動、満州事変を起こしました。
アメリカのリーダー達、例えばルーズベルトとウィルスン大統領の考えは、アメリカはアジアでキリスト教の道徳を利用し、リーダー国の立場をとるのは当たり前であると考えました。
1932年に満州国は建国されました。中国は国際連盟(The League of Nations)に申しいれと日本の提案により、国際連盟はロード・リットンを団長とする委員会を作って、満州問題を調査、研究しました。
委員会の報告では、満州問題について中国の愛国主義者が問題の一つの原因であると認めました。それと日本が満州の中で特別な立場があるということ。
しかし、日本に早速に代議政治を作るべきと提言して、それと中国の主権下に満州の中で安定的な政府を作るべきと提言しました。
中国は満州で安定的な政府を作る事が不可能でしたし、日本は自分で満州を作るつもりでした。
1899年から門開放政策(open door)は出来て、理論的にどんな国でも中国のどこでも貿易が出来る様にと言う事でした。しかし、真実は、色々な国々、英国、フランス、ドイツ、ロシアなど、自分達の経済ゾーンを作って、他国のビジネスマンを入れませんでした。南北戦争により内部統治に時間を費やしていたアメリカは中国分割に乗り遅れ、自分達の決まった経済ゾーンが有りませんでした。
1917年の石井/ランシング協定で、アメリカが日本の中国の中の特別な国益の為のビジネス関係の立場を認めました。
しかし、満州国の建国後、だんだんアメリカは政策的に日本を批判して、英国とフランスに対しては同じ様には批判をしませんでした。
国際連盟で、日本代表が中国では日本の利害は致命的で、英国の利害は実在的、アメリカの利害が感情的であると訴えた。
満州国の建国後、だんだんアメリカと英国のリーダーが中国の愛国主義者より日本が危険な国であると考えにるようになりました。
アメリカ人は、神様がアメリカに世界の国々の活動を管理する権利を与えたと考えていました。
ヘンリー·L·スティムソン
もし、日米の間で起こった大東亜戦争の一番の責任者を選択するとしたら、私はヘンリー·L·スティムソンを選びます。フーバー大統領の時の国務長官、ルーズベルト大統領の時の戦争長官、彼の信念はアングロ・サクソンが世界で一番上位の民族であるということです。
彼は元アメリカフィリピン植民地の総督で、もう一つの信念は東洋人には厳しい扱いが必要だということです。それで、どんな時でも東洋人に厳しい手をすると、東洋人が撤回します。
1932年に満州国の不承認宣言を出しました。当時、英国でもアメリカでも深い経済危機に入って、両国の国民は戦争をしたくない気持ちでした。フーバー大統領も戦争する気持ちが無かったが、フィリピンから上海へ海兵隊の連隊を移動しました。
1932年の2月にアメリカの上院議員に送った公開書簡は、日本が道徳的な国では無いから、アメリカは1922年条約を捨てるべきで、これより戦艦を造るべき、という内容です。
この手紙で、国際連盟で、せっかん票が有り、1933年に日本が国際連盟から撤退しました。
スティムソンの活動はアメリカの上流階級にとても影響力が有りました。スティムソンの支持者の信念は、アメリカの使命は世界の中で道徳的でリーダー的な国であるということです。
スティムソンの哲学は経済制裁を利用して、日本を支配する事でした。スティムソンの影響でアメリカ人の日本のイメージは急激に悪化しました。
FDR、ルーズベルト大統領
1933年のFDR、ルーズベルト大統領の当選で、当時は色々な人の意見で、日米関係が良くなると考えられていました。
しかし、子供時代からFDRはアメリカ海軍をとても大切にしたいという気持ちがありました。それと、彼のお母さんは中国に住んだ事があって、FDR大統領は中国に対してとても良い感情がありました。
スティムソンはFDR大統領と会談して、FDR大統領は中国に対する政策は変わらないと言いました。
国務長官コーデル・ハル
FDRの国務長官コーデル・ハルは若い時から日本を抑えるべきと考えていました。
FDR大統領の海軍の好みで、当選してからすぐ軍艦を造り始めました。真実は、当選したばかりの、1933年に、日本と戦争する計画が有りました。海軍が封鎖して、アリューシャン列島から東京を空襲をする事でした。
英国は日本と関係を作り直すつもりが有りましたが、FDR大統領が止めました。FDR大統領の政策は、”戦争でも無い、平和でも無い”でした。
当時、日本では空襲の恐れはとても深いものでした。アメリカ軍のミッチェル将軍とハル国務長官が脅かししました。
この時も、アメリカ人は日本がフィリピンに攻撃するという恐れが有りました。アメリカ国内の日本人、日系アメリカ人のアメリカへの忠誠に対する心配が強くなりました。この時から抑留政策の話題が始まりました。
このような雰囲気の中、日本が1922年ワシントン海軍軍縮条約を延長しないと宣言しました。それで、アメリカが艦隊の訓練をハワイの西で行なう事を宣言しました。200人の日本滞在宣教師がFDR大統領に訓練中止を請願しましたが、大統領は拒否しました。
FDR大統領の第1期の後で、アジアに対しての政策は二つの極端な提案の真ん中でした。一つの提案は、完璧にアジアから撤退する事、もう一つの提案は日本と戦争をする為に、英国に、アジアに有る軍事基地の利用を許可してもらう事でした。
経済的には、日本はアメリカの三番目の貿易パートナーでした。日本で、アメリカの文化、ジャズ、ベースボール、アメリカ小説などが人気となりました。中国の方は、全然アメリカ文化に興味が有りませんでした。
日本に対して、中国の共産党の勢力拡大を止める事、ソ連の中国浸入を止める事、それと中国に安定的な国を作る事はとても重要でした。
アメリカはその事を全然理解していませんでした。
アメリカの日本への品物の売り上げは、人口の差でも、少なくても中国の4倍でした。
それでは、どうしてアメリカ人が日本を恐がっていたのか?
基本的に、感情的な理由でした。パール・S・バックの中国へ行った宣教師は、小説"The Good Earth"で中国の農民をとてもロマンチックな形で見せて、ハリウッド映画はいつも日本人を信用出来ない悪者として見せました。
アメリカに居た中国人移民は洗濯屋とレストランで働きました。日本人の移民は農業と商売を行なって、だいたい白人より一生懸命働いたので、直接の競争相手でした。
ヘンリー·ルース、雑誌タイムの持ち主、彼も中国へ行った宣教師でした。
蒋介石さん、とT.V. Soong 宋子文はキリスト教信者でした。
1890年代からアメリカ人は、日本製造品との競争に恐れが有りました。本当のところは、当時日本が製造出来る数は本当に少ない数でした。しかし、1890年代からアメリカで日本人に技術とビジネス教育を禁止するという提案が有りました。
基本的にアメリカ人は日本との商売の現実を無視して、中国との商売の夢を大切にしました。キリスト教、両国、日本と中国で、あまり成功しませんでした。両国の国民のほとんどは改宗しなかったのでした。しかし、アメリカ人の信念で、中国はまもなくキリスト教信者国になると考えていました。
1935年に、ハースト新聞は、日本からの輸入品をすべて禁止させると書きました。アメリカ労働者を守る為という理由で書きました。しかし、当時の米政府委員会で、日本から輸入している品物で8%だけがアメリカの製造品と競争になると言う結論を出しました。
最初に、FDR大統領は経済制裁をしなかった。でも、1936年に綿布に42%関税をしました。
日本はだんだん周りに敵国ばかりが居ると言う状況になりました。
1937年の中国と戦争の始まりで、日本はアメリカからの品物輸入が増えました。
日本は北中国に進んで、その北中国に居たアメリカビジネスマンの多くの人が商売を失いました。弱い中国政府から色々な特別扱いがありましたが、日本帝国陸軍はその特別扱いを受け入れませんでした。これで両国の緊張感が増えました。
アメリカ人の気持ちは、日本がアメリカの中国への商売の夢を邪魔し、壊しているということです。
1936年からアメリカ海軍造船が急激に増えました、それで日本でも増えました。当時の戦力は日本帝国海軍は866,000トン、米海軍は1,368,000トンでした。
日本は戦艦大和と戦艦武蔵の製造開始、アメリカは4隻の戦艦製造を開始しました。
日本帝国陸軍の戦争は北中国へと広がりました。1937年長江川でアメリカ軍艦パナイ号は日本軍機に沈没されました。それで日本はアメリカに$2百万保障を払いました。
だんだん、アメリカで、コメンテーターと政治家などがFDR大統領政権にアジアたいしての政策をはっきりする事を要求しました。当時、大多数のアメリカ人はアジアから撤退したいという気持ちが有りました。米国在郷軍人会と退役軍人クラブ(The American Legion, Veterans of Foreign wars)は1937年当時、中立に賛成でした。
ある1935年アメリカ国務省報告で、アジアでソ連に対してバランス良くなる為に日本が必要でした。この国務省の現実的のアメリカ人は、中国の愛国主義者達が西洋向きでは無い事も分かりました。しかしスティムソンの後輩、スタンリー・クール・ホーンベックが1938年までにこの報告を隠しました。
強硬派達の努力で、だんだん数多くのアメリカ人は経済制裁で日本が中国戦争を諦めると考える様になりました。
1937/38年、ほとんどのアメリカ人は戦争反対でした。
1939年にグルー在日アメリカ大使がFDR大統領に、もしアメリカが日本に石油販売をカットする場合、日本は必ずオランダ領東インドを侵略するとメッセージを送りました。
1939年ハル外務長官が日本に半年後経済制裁が始まると宣言しました。
1940年のフランスとの戦争がドイツの勝利でアメリカ人は非常に驚きました。アメリカ政府は中立の立場を辞めて、英国を武器で支持しました。
アメリカ人の考えは、日本が中国で普通の市民に空襲をしたから、貿易の出入港の禁止命令を道徳的に行うべきであると考えました。この考えは本当に皮肉です。アメリカは戦争中の日本空襲で、百万人以上の普通の日本市民を殺しました。
アメリカの艦隊は永遠にハワイに配属されました。
FDR大統領の3期目で、スティムソンが戦争長官に成りました。彼の提案は、もう日本に厳しい手をするべき時でした。海軍長官フランク・ノックスも賛成しました。スティムソンの考えで、アメリカの圧力で日本が1922年のシベリア出兵を撤退しました。
英国はフランス領インドシナの為に戦争をする気持ちは無かったのですが、アメリカが英国に圧力をかけました。経済的に、アメリカの為にフランス領インドシナは大切では有りませんでした。
1940年7月26日に飛行機燃料とくず鉄の日本へ輸出は中止されました。
1940年9月27日で日独伊三国同盟が決定しました。
ホーンベックとFDR大統領の考えは、この三国同盟は攻撃的な同盟であるということでした。しかし、真実は、密接ではない同盟でした。
アメリカ陸軍の見積りで、ドイツに勝つ為に、700師団、22,000,000人が必要でした。
FDR大統領は信じませんでした。正直に言うと、FDR大統領と政府は日本の軍事力を甘く考えていました。
実は、第二次世界大戦で、16、000,000のアメリカ人が軍隊に入りました。そして292,000人死にました。
http://askville.amazon.com/American-soldiers-involved-World-War-II/AnswerViewer.do?requestId=1425000
しかし、ロシアの方は20,000,000の兵士が居て、8,668,000人が死にました。
1941年にアメリカ、英国、オランダ領東インドにある日本資産は全て凍結されました。
来栖大使と野村大使が降伏か戦争か以外の立場を見つける努力しました。しかし、ハル国務長官はまともに交渉をしなかったのでした。
この所で、アメリカ政府、FDR大統領は戦争したいと決めました。しかし、戦争宣言をするのでは無く、日本が最初の攻撃する様に促す政策でした。
この戦争を促す政策は:
アメリカが英国軍港、特にシンガポールを利用出来る協定を取り、オランダ領東インドに有る基地を利用出来る協定を取る事。
中国の蒋介石政府に出来るだけ援助をする事。
東洋にアメリカ海軍巡洋艦艦隊を派遣する事。この巡洋艦は日本領海に浸入する使命でした。FDR大統領の考えは、戦争開始の為に、1隻か2隻を失っても大丈夫というものでした。例えば、1941年7月31日に四国の宿毛沖で不明巡洋艦2隻が突然に現れて、日本帝国海軍の駆逐艦2隻のアタックで逃げました。
太平洋艦隊をハワイで配属する事。
太平洋基地にアメリカ海軍潜水艦を増やす事。
オランダ領東インドから日本へ石油販売中止という事。
アメリカも日本へ石油販売中止という事。
上記の地図に、アメリカ人が恐れたドイツ/日本侵略計画が見えます。
日本の立場は、内モンゴルと北中国に日本兵を残しておきたかった。理由は、中国共産主義を広げない様にする為でした。
アメリカはこの計画を拒否、完璧に中国、満州国から日本の撤退を要求しました。
そうしたら、日本経済はすべて崩壊にします。これはFDR大統領の本当の目的でした、日本崩壊。
ヘンリー・モーゲンソウ財務長官の部下ハリー・ホワイトが妥協的な計画を考えて、アメリカは日本に食料をあげて、変わりに日本がアメリカに対してドイツとの戦争の為に貨物船と軍備を渡す事を考えました。
しかし、FDR政権はこの計画を潰しました。
航空母艦赤城、戦艦比叡 、航空母艦加賀
1941年12月8日帝国海軍機動部隊の軍機は離陸して真珠湾へ向かいました。
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